夜船閑話  (西元一七五七年)  by 白隱慧鶴, translated by 維基文庫
日本
由日文翻譯中文 全一卷。日本禪僧白隱慧鶴(1685~1768)著。作者在修行當中曾患神經衰弱與肺結核。本書即作者記載,如何透過白雲隱士傳授的內觀法治癒健康的秘訣,由內觀祕法治癒疾病之經驗談。修習該祕法能令身心健康,達成參禪辦道的目的。〔白隱廣錄卷上)


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円窓内自画像 永青文庫蔵。明和元年(1764年)白隠80歳の自画像

夜船閑話序言

【一】前言 寶歷丁丑年春天,長安書坊(松月堂)的某個人,從遠方寄了一封信給我的鹄林侍者,內容如下: 「據聞令師的舊紙集藏書中,有一本『夜船閑話』的草稿,據聞此書主要記載練氣養精,長生久視的神仙鍊丹秘訣,人人皆欲一窺其究竟。 尊師少部分弟子們雖有此祕笈之手抄錄本,但悉皆祕密珍藏,未肯對外界輕洩一二! 吾意以為若只把此修身要籍永久藏於金櫃,束之高閣而祕不示人,真可謂暴殄天物,使英雄無用武之地也,倒不如將之公之於世,使大眾皆能蒙受其益。祈閣下能將吾之意見轉告尊師,吾信此亦老禪師當初著作此書,廣度眾生之本願,故應不會吝於法布施也!J

於是,我(侍者自稱)當下便把書坊老闆的信函呈給老師看,老師在知悉來信之本意後,大開方便之門,歡喜讃歎,並隨喜功德,即命門人入藏經閣內搜尋此書册之下落!竟發現此書原稿已因年代日久,收藏環境又欠佳,有一大半的內容已被蠹蟲所蠶食,我等當即用眾師兄弟間冁流傳的珍藏手抄錄本及節錄筆記加以會集校對訂正,以補充原稿缺漏之內容文句,並重新整理裝訂成册,最後呈交老師覢自監修審閱,修正缺失並題辭作序,以記述此書得以出版面世之殊勝因緣!

【二】序言 老衲長居於鵠林山已有四十多年,謹遵師祖訓示,精進修行,足不出户,並建立道場,收徒授業。眾弟子們來此修行參學,往往掛單十年,乃至二十年不等,然皆不負老僧所望,大都學有所成,頭角崢嶸者為數不少!

由於敝寺地方有限,新來的行脚僧只好寄居於寺外四周,他們棲身於廢宅舊舍,乃至借宿於破廟空寺,餐風露宿,備受艱辛,饑寒交迫,過着非常刻苦的修行生活。但旁觀者因未能設身處地感受其苦,皆不以此為然也。

這些行脚僧初來時,外表不乏有如宋玉、何晏般肌膚潤澤、凝脂如膏的俊美之士,但苦修一些時日之 後,就變得如杜甫、賈島般的顏面憔悴、形容枯槁,更有甚者,有如屈原之可憐清風瘦骨相,身體變得衰弱不堪。

但弟子們雖備嘗眾苦,卻甘之如飴。如此不顧軀命,參禪苦修, 終因心力交瘁,而致百病叢生,受苦不堪。老衲目睹此情此景,心中實有不忍,乃決意將自身之親身體驗及智 慧精華「內觀祕法」傾囊相授。

【三】正文 訣曰:諸參禪辦道之行人,若心火上炎,致身心虚勞,五臟不調,縱使針、灸和湯藥三管齊下,甚至神醫華陀、扁鵲再世,也是徒然罔效的!幸老纳得神仙煉丹之祕傳囗訣,徒兒們不妨一試其究竟,吾敢擔保不日當有撥雲見日之奇效。

然而修此秘訣之前,先要暫時放下從前一切參話頭的工夫,並休歇一切雜念妄想,大熟睡覺一場。入睡之前,先將兩足盡情伸展向下,猶如用力踏在大地之上。同時先把全身的元氣及精神集中於肚臍、氣海及下丹田之間,並進而下行至腰腿,直至兩足足心為止。並且需要常常也這麼修習!

並默唸:「如果我的氣海、下丹田、乃至足心,是我的本來的面目,然而在這本來面目中,那會有鼻孔呢? 若我的氣海、下丹田,即是唯心淨土,然而在這片淨土中,那來的莊嚴呢? 若我的氣海、下丹田本是自身之彌陀,但這個自性彌陀是不會說法的呢? 」

只要長期累積這種妄想亚觀修下去,全身的元氣就會不知不覺地在腰脚及足心之閒充實起來,這時臍下丹田就有如打滿了氣的皮球一樣渾然有力。下腹部瓠然猶如未受籐打的氣球般!如此修行五日、七日乃至二七或三七二十一日後,從前所有的五積六聚、氣虛勞役種種病症,即可一掃而空,並轉危為安,痊癒並且不再發作,其或不然,可截取老僧頸上人頭也!

諸弟子聞教後,歡喜之狀,無以名之,從此依教精修,果獲驚人效驗!然而收效之快慢,則視乎修行者行持之粗細程度而定,然而最终皆可依之而獲得痊癒,故他們對之皆讚嘆不已!

【四】師曰:「汝等不可得小為足,而應更上一層樓,倍加精進參禪,力求早日開悟!老衲早年參禪時,亦曾百病纏身,所受之苦,比之諸子,大於十倍,可謂已到進退兩難之地步,甚至生出一死了之的念頭,已求解脱色身之病苦!慶幸此時竟能絕處逢生,得遇異人傳授此内觀秘訣,得以回復生機,如今,吾亦將之授於汝等,使諸位亦能脱離種種病苦之折磨! 一些對老莊之學頗有研究之能士,也認為這是神仙之術,修煉之能獲三百多年之壽數。而吾意以為,諸子只要勤而行之,三年之内,必能壯氣強身,異於常人。 在此,我心裡不斷地重複著,即使彭祖能掌握所有這些不同的神仙之術,但一個人如果空有綿綿不息的歲數,縱使能如彭祖一樣活到八百年,也只不過是一具頑空愚昧的活死人,就像一隻 死了的惡魔睡在老浣熊的洞穴裡一樣,最終也將回歸毀滅。不 知道為什麼,現在葛洪、鐵拐、張華、費張之仙輩已不可見,仍無法超脫無常的生死! 故此,光是修得一具長生不死的皮囊是無意義的,最重要的是能發四 弘之誓願,學諸菩薩之威儀,謹記遠離妄語,時時不忘講法布施,堅韌不屈,為得空前不滅、空後不滅、與虛空同在,與宇宙合一的真法身,並成就金剛不壞之大仙體。 當年,我與道友二、三人,一起修行『內觀秘法』及『參禪工夫』,一面內觀修行身 心、以參禪進行法戰,一邊自耕自食。 如此經過三十年,年年都會增收幾名新弟子加入修行,至今已逾二百之眾。當他們初來時,每每因過於勤練而身 染重疾, 其中也有弟子經不起嚴格的考驗,中途而廢,但有更多的人抱病苦修,其情可憐可救濟,老衲總授之以當年 所學之『內觀法』秘法,傳與大眾,使之體舒心泰,能安心參修道,了悟 如今老衲已屆古稀之齡,然身體無恙,但體朗,耳聰目明。 每個月 有兩次講法布施,前來聽法者,多達三、五百之眾,如此講經論典,數十十五、六十 天,然我數年如一日,從未罷過講齋,從無怠乏之感,這完全全拜『內觀法』之 賜。

【五】住庵諸弟子喜極而泣,皆拜曰:「願吾師大慈大悲,將此「內觀秘法」大略撰寫成書,傳於後世, 乃吾等後世晚輩之幸也!」老禪師欣然應允,提筆疾書,不久即完成『夜船閒話』手稿。 書曰:「大凡延生益壽之道,不若練形。練形之要乃在於神氣凝於丹田和氣海之間。神凝則氣 聚,氣聚則丹成,丹成則形固,形固則神全,神全則壽長,此為仙人九轉還丹之秘訣,不可不 知。 丹原非身外之物,全在於心火下降,凝於氣海和丹田之間而已。 諸子若動而不怠,精練此心要,則疑團消百病除,豁然開朗。 何故呢?乃因月高城影盡。 」 維時寶歷丁丑孟正 二十五日 」


未完成,翻譯中..................

日文原文 edit

夜 船 閑 話


     夜 船 閑 話 序      窮 乏 庵 主 饑 凍 選


 寶暦丁丑(ていちう)の春長安の書肆(しよし)松月堂何某(なにがし)とかや聞えし、遠く草書を裁(さい)して吾が鵠林(こふりん)近侍の左右に寄せて云(いは)く、伏して承る、老師の古紙堆(こしたい)中、夜船閑話(やせんかんな)とかや云へる草稿あり、書中多く氣を錬り精を養ひ、人の營衞(えいゑ)をして充たしめ、專(もつぱ)ら長生久視(ちやうせいきうし)の秘訣を聚(あつ)む、謂はゆる神仙錬丹(しんせんれんたん)の至要(しえう)なりと。是の故に世の好事(かうず)の君子是(こ)れを思ふ事、荒旱(くわうかん)の雲霓(うんげい)の如し。偶々(たまたま)雲水の徒侶(とりよ)竊(ひそか)に轉寫し來(きた)るあるも、祕重し珍藏して人をして見せしめず。天瓢(てんぺう)空しく櫃(ひつ)にをさめて匿(かく)したるが如し。願くは是れを梓(し)に壽(いのちなが)ふして、以て其(そ)の渇(かつ)を慰(ゐ)せん。聞く、老師常に人を利するを以て老後を樂しみたまふと。若(も)し夫(そ)れ人に利あらば、師豈(あ)に是れを吝(をし)みたまはんやと。二虎(にこ)含み來(きた)つて師に呈す。師微々(びび)として笑ふ。此(こゝ)において諸子舊書櫃(きうしよき)を開けば、草稿蠹魚(とぎよ)の腹中に葬らるゝもの中葉(なかば)に過ぎたり。諸子即ち訂正傳寫して既に五十來紙(らいし)を見る。即ち封裹(ふうくわ)して以て京師(けいし)に寄せんとす。予が馬齒(ばし)一日(いちじつ)も諸子に長(ちやう)たるを以て、其の端由(たんゆ)を書せん事を責む。予も亦辭せずして書す。云(いは)く、師鵠林(こふりん)に住する事大凡(おほよそ)四十年、鉢嚢(はつなう)を掛けしより以來(このかた)、雲水參玄(うんすゐさんげん)の布衲子(ふのつす)、纔(わづ)かに門閫(もんこん)に跨(またが)れば、師の毒涎(どくぜん)を甘(あま)ない、通棒を滋(うま)しとして、辭し去る事を怠(わす)るゝ者、或は十年、或は二十年、鵠林々下の塵となる事も、亦總(そう)に顧みざる底(てい)あり。盡(ことごと)く是れ叢林(そうりん)の頭角(づかく)、四方(しはう)の精英なり。各々(おのおの)西東(さいとう)五六里が間(あひだ)に分れて、舊舎廢宅、老院破廟(はべう)、借りて以て菴居(あんきよ)の處として淸苦(せいく)す。朝艱暮辛(てうかんぼしん)、晝餒夜凍(ちうたいやとう)、口に投ずる者は菜葉麥麩(さいえふばくふ)、耳に觸るゝ者は熱喝垢罵(ねつかつくめ)、骨に徹する者は嗔拳痛棒(しんけんつうぼう)、見る者顙(ひたひ)を攅(あつ)め、聞く者肌(はだへ)に汗す。鬼神(きじん)もまた涙を浮べつべく、魔外(まげ)もまた掌(たなごゝろ)を合せつべし。其の初め來(きた)る時は、宋玉(そうぎよく)、何晏(かあん)が美貌有りて、肌膚(きふ)光澤凝(こ)れる膏(あぶら)の如くなる者も、久しからずして、恰(あたか)も杜甫、賈島(かとう)が形容杜槁(けいようこかう)、顔色憔悴(がんしよくせうすゐ)するが如く、或は屈子(くつし)に澤畔(たくはん)に逢ふが如し。參玄軀命(さんげんくみやう)を顧みざる底(てい)の勇猛の上士(じやうし)にあらざるよりんば、何の樂(たのし)み有りてか、片時(へんじ)も湊泊(そうはく)する事を得んや。是の故に、往々に參窮(さんきゆう)度に過ぎ、淸苦(せいく)節を失する族(やから)は、肺金(はいきん)いたみかじけ、水分枯渇して、疝癖塊痛(せんぺきくわいつう)、難治の重症を發せんとす。是れを憐み是れを愁ひて、師不豫の色有る者連日、乍(たちま)ち忍俊(にんしゆん)不禁にして、雲頭を按下(あんげ)し、老婆の臭乳(しうにう)を絞つて、是れに授くるに内觀の秘訣を以てす。乃(すなは)ち云(いは)く、若(も)し是れ參禪辨道の上士(じやうし)、心火(しんくわ)逆上し、身心勞疲し、五内(ごない)調和せざる事あらんに、鍼灸藥(しん・きう・やく)の三つを以て是れを治(ぢ)せんと欲せば、縱(たと)ひ華陀扁倉(くわだ・へん・さう)と云へども、輙(たやす)く救ひ得(う)る事能はじ。我に仙人還丹(せんにんげんたん)の秘訣あり、儞(なんぢ)が輩(ともがら)試(こゝろみ)に是れを修せよ、奇功を見る事、雲霧を披(ひら)きて皎日(かうじつ)を見るが如けん。若し此の秘要(ひえう)を修せんと欲せば、且(しば)らく工夫を抛下(はうげ)し、話頭を拈放(ねんはう)して、先づ須(すべか)らく熟睡一覺すべし。其の未だ睡りにつかず、眼(まなこ)を合せざる以前に向(むか)つて、長く兩脚(りやうきやく)を展(の)べ、強く踏みそろへ、一身の元氣をして、臍輪氣海丹田腰脚足心(さいりん・きかい・たんでん・えうきやく・そくしん)の間(あひだ)に充たしめ、時々(じゞ)に此の觀を成すべし。我が此の氣海丹田腰脚足心、總(そう)に是れ我が本來の面目(めんもく)、面目何の鼻孔(びこう)かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が本分の家郷、家郷何の消息かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が唯心(ゆゐしん)の淨土、淨土何の莊嚴(しやうごん)かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が己心(こしん)の彌陀(みだ)、彌佗何の法をか説くと、打返し打返し常に斯(かく)の如く妄想(まうざう)すべし。妄想の功果(こうくわ)積らば、一身の元氣いつしか腰脚足心の間に充足して、臍下瓠然(こぜん)たる事、未だ篠打(しのうち)せざる鞠(まり)の如(ごと)けん。恁麼(いんも)に單々に妄想(まうざう)し將(も)ち去つて、五日(じつ)七日(じつ)乃至二三七日(じつ)を經たらむに、從前の五積六聚(ごしやくろくじゆ)氣虚(ききよ)勞役(らうえき)等の諸症、底(そこ)を拂つて平癒せずんば、老僧が頭(かうべ)を切り將(も)ち去れ。此(こゝ)に於て、諸子歡喜作禮(くわんきさらい)して密々(みつみつ)に精修す。各々悉(ことごと)く不思議の奇功を見る。功の遲速は、進修の精麤(せいそ)に依るといへども、大半(たいはん)皆全快す。各々内觀の奇功を讃嘆して休(や)まず。師の曰く、儞(なんぢ)が輩(ともがら)、心病全快を得て以て足れりとする事勿(なか)れ。轉(うた)た治(ぢ)せば轉(うた)た參ぜよ。轉(うた)た悟らば轉(うた)た進め。老僧初め參學の時、難治の重病を發して、其の憂苦、諸子に十倍せり。進退惟(これ)谷(きは)まる。尋常(つねに)心にひそかに思惟(しゆゐ)すらく、生きて此の憂愁に沈まんよりは、如(し)かじ早く此の革嚢(かくなう)を捨てんにはと。何の幸(さひはひ)ぞや、此の内觀の秘訣をつたへて全快を得(う)る事、今の諸子の如くならむとは。至人(しいじん)の云(いは)く、此は是れ神仙長生不死の神術なり。中下(ちゆうげ)は世壽(せいじゆ)三百歳なるべし。其の餘(よ)は計り定むべからず。予即ち歡喜に堪へず。精修怠らざる者大凡(おほよそ)三年、心身次第に健康に、氣力次第に勇壯なる事を覺ゆ。此(こゝ)に於て、重ねて心に竊(ひそ)かに謂(おも)へらく、縱(たと)ひ此の眞修を修し得て、彭祖(はうそ)が八百の歳時(さいじ)を保ち得るも、唯是れ一箇頑空無智(ぐわんくうむち)の守屍鬼(しゆしき)ならくのみ。老狸(らうり)の舊窠(きうくわ)に睡るが如し。終に壞滅(ゑめつ)に歸せん。何が故ぞ、今既に獨りも葛洪(かつこう)、鐡枴(てつかい)、張華(ちやうくわ)、費張(ひちやう)が輩(ともがら)を見ず。如(し)かじ、四弘(しぐ)の大誓(たいせい)を憤起し、菩薩の威儀を學び、常に大法施(だいはふせ)を行(ぎやう)じ、虚空(こくう)に先(さきだ)ちて死せず、虚空に後れて生ぜざる底(てい)の不退堅固(ふたいけんご)の眞法身(しんほつしん)を打殺(だせつ)し、金剛不壞(こんがうふゑ)の大仙身(だいせんしん)を成就せんにはと。此(こゝ)に於て、眞正參玄(しんしやうさんげん)の上士(じやうし)兩三輩(はい)を得て、内觀と參禪と共に合せ並べ貯へて、且つ耕し且つ戰ふ者、蓋(けだ)し茲(こゝ)に三十年。年々一員を添へ二肩(けん)を増し得て、今既に二百衆に近し。其の中間、方來(はうらい)の衲子(のつす)、勞屈疲倦(らうくつひけん)の族(やから)、或は心火逆上し將(まさ)に發狂せんとする底(てい)を憐み、密(つまびら)かに此の内觀の至要(しえう)を傳授し、立所(たちどころ)に快癒せしめ、轉(うた)た悟れば轉(うた)た進ましむ。馬年(ばねん)今歳(こんさい)古稀に越えたりと云へども、半點の病患なく、齒牙(しが)全く搖落せず、眼耳(がんに)次第に分明(ぶんみやう)にして、動(やゝ)もすれば靉靆(あいたい)を忘る。毎月(まいげつ)兩度の法施(はふせ)終に怠倦(たいけん)せず、請(しやう)に佗方(たはう)に應じて、三百五百の海象(かいざう)を聚會(しゆうゑ)して、或は五旬七旬を、經(きやう)に録(ろく)に、雲水の所望(しよまう)に隨つて胡説亂道(うせつらんだう)する者、大凡(おほよそ)五六十會(ゑ)に及ぶといへども、終に一日も罷講(はかう)齋(さい)を鎖(とざ)さず。身心健康、氣力は次第に二三十歳の時には遙かに勝(ま)されり。是れ皆彼(か)の内觀の奇功に依る事を覺ゆ。住菴(じうあん)の諸子、各々悲泣作禮(ひきうさらい)して云く、吾が師大慈大悲、願(ねがは)くは内觀の大略(たいりやく)を書せよ。書して留(とゞ)めて、後來(こうらい)禪病疲倦(ぜんびやうひけん)吾が輩(ともがら)の如き者を救へ。師即ち頷(がん)す。立處(たちどころ)に草稿成る。稿中何の説く所ぞ。曰く、大凡(おほよそ)生を養ひ長壽を保つの要は、形を錬るに如(し)かず。形を錬るの要、神氣をして丹田氣海の間に凝(こ)らさしむるにあり。神(しん)凝る則(とき)は氣聚(あつま)る。氣聚る則(とき)は即ち眞丹(しんたん)成る。丹成る則(とき)は形(かたち)固し。形固き則(とき)は神(しん)全し。神全き則(とき)は壽(いのちなが)し。是れ仙人九轉還丹(せんにんきうてんげんたん)の秘訣に契(かな)へり。須(すべか)らく知るべし、丹(たん)は果して外物(ぐわいぶつ)に非ざる事を。千萬(せんばん)唯(たゞ)心火(しんくわ)を降下(かうげ)し、氣海丹田の間に充たしむるに有るらくのみ。住菴(じうあん)の諸子、此の心要を勤めてはげみ、進んで怠らずんば、禪病を治(ぢ)し勞疲を救ふのみにあらず、禪門向上の事に到つて、年來疑團(ぎだん)あらむ人々は、大きに手を拍して大笑する底(てい)の大歡喜有らん。何が故ぞ、月高くして城影(じやうえい)盡(つ)く。  維時(これとき)寶暦丁丑孟正(まうしやう)二十五蓂(めい)   窮乏庵主饑凍(きうぼふあんしゆきとう)炷香(ちうかう)稽首題(けいしゆだい)









     夜 船 閑 話       白 隠 禅 師


 山野(さんや)初め參學の日、誓つて、勇猛の信々(しんじん)を憤發し、不退の道情(だうじやう)を激起(げきき)し、精錬(せいれん)刻苦する者既に兩三霜、乍(たちま)ち一夜忽然(こつぜん)として落節(らくせつ)す、從前多少の疑惑、根(こん)に和して氷融し、曠劫(くわうがふ)生死(しやうじ)の業根(ごふこん)、底(てい)に徹して漚滅(おうめつ)す。自(みづか)ら謂(おも)へらく、道(みち)人を去る事寔(まこと)に遠からず、古人二三十年、是(こ)れ何の捏怪(ねつくわい)ぞと、怡悦(いえつ)蹈舞(たうぶ)を忘るゝ者數月。向後(きやうご)日用を廻顧(くわいこ)するに、動靜(どうじやう)の二境全く調和せず、去就(きよしう)の兩邊總(そう)に脱洒(だつしや)ならず。自(みづか)ら謂(おも)へらく、猛(たけ)く精彩を著(つ)け、重ねて一回捨命(しやみやう)し去らむと、越(こゝにおい)て牙關(げくわん)を咬定(かうぢやう)し、雙眼(さうがん)睛(せい)を瞠開(どうかい)し、寢食ともに廢せんとす。既にして、未(いま)だ期月(きげつ)に亘(わた)らざるに、心火(しんくわ)逆上し、肺金(はいきん)焦枯(せうこ)して、雙脚(さうきやく)氷雪の底(そこ)に浸すが如く、兩耳(りやうじ)溪聲(けいせい)の間(あいだ)を行くが如し。肝膽(かんたん)常に怯弱(きよじやく)にして、擧措(きよそ)恐怖多く、心身困倦(こんけん)し、寐寤(びご)種々の境界を見る。兩腋(りやうえき)常に汗を生じ、兩眼常に涙を帶ぶ。此(こゝ)に於て、遍(あまね)く明師(めいし)に投じ、廣く名醫を探ると云へども、百藥寸功(すんこう)なし。或人曰(いは)く、城(じやう)の白河の山裏(さんり)に巖居(がんきよ)せる者あり、世人(せじん)是れを名づけて白幽(はくいう)先生と云ふ、靈壽(れいじゆ)三四甲子(かつし)を閲(けみ)し、人居(じんきよ)三四里程を隔つ、人其の賢愚を辨ずる事なし、里人(りじん)專(もつぱ)ら稱して仙人とす、聞く、故(もと)の丈山氏の師範にして、精(くは)しく天文に通じ、深く醫道に達す、人あり禮を盡して咨叩(しこう)する則(とき)は稀に微言を吐(は)く、退きて是(こ)れを考ふるに、大(おほい)に人に利ありと。此(ここ)に於て寶永第七庚寅(かういん)孟正(まうしやう)中浣(ちゆうくわん)、竊(ひそ)かに行纏(あんてん)を著(つ)け、濃東(のうとう)を發し、黑谷(くろだに)を越え、直(たゞち)に白河の邑(いふ)に到り、包(つゝみ)を茶店(さてん)におろして幽が巖栖(がんせい)の處を尋(たづ)ぬ、里人(りじん)遙(はるか)に一枝(いつし)の溪水を指(ゆびさ)す、即ち彼(か)の水聲に隨つて、遙(はるか)に山溪に入(い)る。正(まさ)に行く事里(り)ばかりに、乍(たちま)ち流水を踏斷(たうだん)す。樵徑(せうけい)もまたなし。時に一老夫あり、遙に雲煙の間(あひだ)を指(さ)す。黄白(わうはく)にして方(はう)寸餘(すんよ)なる者あり、山氣に隨つて或(あるひ)は顯はれ或は隱る。是(こ)れ幽が洞口(どうこう)に垂下(すゐげ)する所の蘆簾(ろれん)なりと。予即ち裳(もすそ)を褰(かゝ)げて上(のぼ)る。巉巖(ざんがん)を踏み、蒙茸(もうじよう)を披(ひら)けば、氷雪草鞋(さうあい)を咬(か)み、雲露衲衣(のふえ)を壓(あつ)す。辛汗(しんかん)を滴(したゝら)し、苦膏(くかう)を流して、漸く彼(か)の蘆簾の處に到れば風致淸絶實(じつ)に物表(ぶつぺう)に丁々(ちやうちやう)たる事を覺ゆ。心魂震(ふる)ひ恐れ肌膚(きふ)戰慄す。且(しば)らく巖根(がんこん)に倚(よ)りて數息する者數百、少焉(しばらく)ありて、衣(ころも)を振ひ襟を正して、畏(お)づ畏(お)づ鞠躬(きくきう)して簾子(れんし)の中(うち)を望めば、朦朧として幽が目を收めて端坐するを見る。蒼髮(そうはつ)垂れて膝に到り、朱顔(しゆがん)麗(うるはし)くして棗(なつめ)の如し、大布(たいふ)の袍(はう)を掛け、輭草(なんさう)の席に坐せり。窟中(くつちゆう)纔(わづか)に方(はう)五六笏(しやく)にして、全く資生の具(ぐ)無し。机上(きじやう)只(たゞ)中庸と老子と金剛般若とを置く。予則(すなは)ち禮を盡して、苦(ねんご)ろに病因を告げ、且(か)つ救ひを請ふ。少焉(しばらくありて)幽眼(まなこ)を開いて熟々(つらつら)視て、徐々として告げて曰く、我は是(こ)れ山中半死の陳人(ちんじん)、櫨(さ)栗(りつ)を拾ひて食(くら)ひ麋鹿(びろく)に伴つて睡る、此外(このほか)更に何をか知らんや、自(みづか)ら愧(は)づ、遠く上人(しやうにん)の來望を勞する事を。予即ち轉(うた)た咨叩(しこう)して休(や)まず。時に幽恬如(てんじよ)として予が手を捉へて、精(くは)しく五内(ごだい)を窺(うかゞ)ひ、九候を察す。爪甲(さうかう)長き事半寸、慘乎(しんこ)として顙(ひたひ)を攅(あつ)めてつげて云(いは)く、已哉(やんぬるかな)、觀理(くわんり)度に過ぎ進修(しんしう)節を失して、終(つひ)に此の重症を發す、實に醫治(いぢ)し難(がた)き者は公(こう)の禪病なり、若(も)し鍼灸藥(しんきうやく)の三つの物を恃(たの)みて、而(しかう)して後に是(こ)れを救はんと欲せば、扁倉(へんそう)力を盡し華陀(くわだ)顙(ひたひ)を攅(あつ)むるも、奇功を見る事能(あた)はじ、公今(いま)觀理の爲(た)めに破らる、勤めて内觀の功を積まずんば終(つひ)に起(た)つ事能はじ、是れ彼(か)の起倒は必ず地に依るの謂(いひ)なり。予が曰く、願わくば内觀の要秘(えうひ)を聞かん、學びがてらに是れを修せん。幽肅々如(しゆくしゆくじよ)として容(かたち)をあらため從容(しようよう)として告(つげ)て曰く、嗚呼(あゝ)公の如きは問ふ事を好むの士なり、我が昔(むか)し聞ける所を以て微(すこ)しく公に告げんか、是れ養生の秘訣にして人の知る事稀なり、怠らずんば必ず奇功を見む、久視(きうし)も亦期しつべし。夫(そ)れ大道(だいどう)分れて兩儀あり、陰陽(いんやう)交和して人物生(うま)る、先天(せんてん)の元氣中間に默運(もくうん)して五臟列(つらな)り經脈(けいみやく)行はる、衛氣(えいき)營血(えいけつ)互に昇降循環する者晝夜に大凡(おほよそ)五十度、肺金(はいきん)は牝臟(ひんざう)にして膈上(かくじやう)に浮び肝木(かんぼく)は牡臟(ぼざう)にして膈下(かくか)に沈む、心火(しんくわ)は大陽(たいやう)にして上部に位(くらゐ)し腎水(じんすゐ)は大陰(たいいん)にして下部を占む。五臟に七神(しちじん)あり、脾腎(ひじん)各々二神を藏(かく)す。呼(こ)は心肺より出(い)で吸(きう)は腎肝(じんかん)に入(い)る。一呼に脈の行(ゆ)く事三寸一吸に脈の行く事三寸、晝夜に一萬三千五百の氣息(きそく)あり。脈一身を巡行する事五十次(じ)、火は輕浮(けいふ)にしてつねに騰昇(とうしよう)を好み水は沈重(ちんじう)にしてつねに下流を務(つと)む。若(も)し人察せず、觀照或は節を失し志念(しねん)或は度に過ぐる時は心火熾衝(ししよう)して肺金焦薄(せうはく)す、金母(きんぼ)苦しむ則(とき)は水子(すゐし)衰滅す、母子互に疲傷(ひしやう)して、五位困倦(こんけん)し六屬凌奪(りやうだつ)す、四大増損(ぞうそん)して各々(おのおの)百一の病(やまひ)を生ず、百藥功を立つる事能(あた)はず、衆醫(しゆうい)總(そう)に手を束(つか)ねて終(つひ)に告ぐる處なきに到る。蓋(けだ)し生を養ふ事は國を守るが如し、明君聖主は常に心を下(しも)に專(もつぱら)にし暗君庸主(ようしゆ)は常に心を上(かみ)に恣(ほしいまゝ)にす、上に恣にする則(とき)は九卿(きうけい)權に誇り百僚寵(ちやう)を恃(たの)んで曾(かつ)て民間の窮困を知る事なし、野(や)に菜色(さいしよく)多く國餓莩(がへう)多し、賢良濳(ひそ)み竄(かく)れ臣民瞋(いか)り恨む、諸侯離れ叛(そむ)き衆夷(しゆうい)競(きそ)ひ起(おこ)つて、終に民庶を塗炭(とたん)にし國脈永く斷絶するに到る。心を下(しも)に專(もつぱら)にする則(とき)は九卿儉(けん)を守り百僚約(やく)を勤めて常に民間の勞疲を忘るゝ事なし、農に餘(あま)んの粟(ぞく)あり婦(ふ)に餘んの布(ふ)ありて、群賢來(きた)り屬し諸侯恐れ服して民肥(こ)え國強く令に違(ゐ)するの烝民(じようみん)なく境(さかひ)を侵すの敵國なし、國刁斗(てうと)の聲を聞く事なく民戈戟(くわげき)の名を知らず。人身(じんしん)もまた然(しか)り、至人(しいじん)は常に心氣をして下(しも)に充たしむ、心氣下に充つる時は七凶(しちきよう)内に動く事無く四邪(しじや)また外(そと)より窺(うかゞ)ふ事能はず、營衛(えいゑ)充ち心神健(すこや)かなり、口終(つひ)に藥餌の甘酸(かんさん)を知らず、身終(つひ)に鍼灸(しんきう)の痛痒(つうやう)を受けず。庸流(ようりう)は常に心氣をして上(かみ)に恣(ほしいまゝ)にす、上(かみ)に恣(ほしいまゝ)にする時は左寸(さすん)の火(くわ)右寸(うすん)の金(きん)を剋(こく)して五官縮(ちゞま)り疲れ六親(りくしん)苦しみ恨む。是(こ)の故に、漆園(しつえん)曰く、眞人(しんじん)の息(いき)は是れを息(そく)するに踵(くびす)を以てし、衆人の息(いき)は是れを息(そく)するに喉(のんど)を以てす。許俊(きよしゆん)が云(いは)く、蓋(けだ)し氣下焦(かせう)に在る則(とき)は其の息遠く、氣上焦(じやうせう)に在る則は其の息(いき)促(しゞ)まる。上陽子(じやうやうし)が曰く、人に眞一の氣有り、丹田(たんでん)の中(うち)に降下(かうげ)する則(とき)は一陽また復す、若し人始陽(しやう)初復(しよふく)の候を知らんと欲せば暖氣を以て是れが信とすべし、大凡(おほよそ)生を養ふの道、上部は常に淸凉ならん事を要し下部は常に温暖ならん事を要せよ。夫(そ)れ經脈の十二は支(し)の十二に配し月の十二に應じ時の十二に合(がつ)す、六爻(かう)變化再周して一歳を全(まつた)ふするが如し。五陰(ごいん)上(かみ)に居(きよ)し一陽下(しも)を占む、是れを地雷復(ぢらいふく)と云ふ、冬至(とうじ)の候なり、眞人の息(いき)は是れを息(そく)するに踵(くびす)を以てするの謂(いひ)か。三陽下(しも)に居(きよ)し三陰上(かみ)に居(きよ)す、是れを地天泰(ちてんたい)と云ふ、孟正(まうしやう)の候なり、萬物發生の氣を含んで、百卉(ひやつき)春化(しゆんくわ)の澤(たく)を受く、至人(しいじん)元氣をして下(しも)に充たしむるの象(しやう)、人是れを得る則(とき)は、營衛(えいゑ)充實し氣力勇壯なり。五陰下(しも)に居(きよ)し一陽上(かみ)に止(とゞ)まる、是れを山地剥(さんちはく)といふ、九月の候なり、天是れを得る則(とき)は、林苑(りんゑん)色を失し百卉(ひやつき)荒落(くわうらく)す、是れ衆人の息は、是れを息(そく)するに喉(のんど)を以てするの象(しやう)、人是れを得る則(とき)は、形容枯槁(こかう)し齒牙(しが)搖落す。所以(このゆゑ)に延壽(えんじゆ)書に云く、六陽共に盡く、則ち是れ全陰(ぜんいん)の人死し易し。須(すべか)らく知るべし、元氣をして常に下(しも)に充たしむ、是れ生を養ふ樞要(すうえう)なる事を。昔(むか)し呉契初(ごけいしよ)石臺(せきだい)先生に見(まみ)ゆ、齋戒して錬丹(れんたん)の術を問ふ。先生の云く、我に元玄眞丹(げんげんしんたん)の神秘あり、上々の器(き)にあらざるよりんば得て傳ふべからず。古へ廣成子(くわうせいし)是れを以て黃帝に傳ふ、帝(てい)三七齋戒して是れを受く。夫(そ)れ大道の外(ほか)に眞丹なく、眞丹の外に大道なし。蓋し五無漏(ごむろ)の法あり、儞(なんぢ)の六欲を去り五官各々其の職を忘るゝ則(とき)は、混然たる本源の眞氣彷彿(ほうふつ)として目前に充(み)つ、是れ彼(か)の大白道人(たいはくだうじん)の謂(いは)ゆる我が天を以て事(つか)ふる所の天に合(がつ)する者なり。孟軻(まうか)氏の謂(いは)ゆる浩然の氣、是れをひきゐて臍輪氣海丹田(さいりん・きかい・たんでん)の間(あひだ)に藏(おさ)めて、歳月を重ねて、是れを守つて守一(しゆいつ)にし去り是れを養ふて無適にし去つて、一朝乍(たちま)ち丹竈(たんさう)を掀飜(きんぽん)する則(とき)は、内外中間八紘(はつかう)四維(しゆゐ)總(そう)に是れ一枚の大還丹(だいげんたん)、此の時に當(あた)つて、初めて自己即ち是れ天地に先(さきだ)ちて生せず、虚空(こくう)に後れて死せざる底(てい)の眞箇(しんこ)長生久視の大神仙なる事を覺得(かくとく)せん、是れを眞正丹竈(たんさう)功成る底(てい)の時節とす。豈(あに)風に御(ぎよ)し、霞に跨(またが)り、地を縮め、水(みづ)を蹈(ふ)む等の鎖末(さまつ)たる幻事(げんじ)を以て懷(くわい)とする者ならんや。大洋を攪(か)いて酥酪(そらく)とし、厚土(こうど)を變じて黃金(わうごん)とす。前賢(ぜんけん)曰く、丹(たん)は丹田なり、液(えき)は肺液なり、肺液を以て丹田に還(かへ)す、是の故に金液還丹(きんえきげんたん)といふ。予が曰く、謹んで命(めい)を聞(き)いつ、且(しば)らく禪觀を抛下(はうげ)し、努め力(つと)めて治(ぢ)するを以て期(ご)とせん、恐るゝ所は、李士才(りしさい)が謂(いは)ゆる淸降(せいこう)に偏(へん)なる者にあらずや、心を一處(いつしよ)に制せば、氣血(きけつ)或は滯碍(たいげ)する事なからんか。幽微々(びゞ)として笑つて云(いは)く、然(しか)らず、李氏いはずや、火の性(せい)は炎上なり宜(よろ)しく是れを下らしむべし、水の性は下(くだ)れるに就く宜しく是れをして上(のぼ)らしむべし。水上(のぼ)り火下(くだ)る、是れを名(なづ)けて交(かう)と云ふ、交(まじは)る則(とき)は既濟(きせい)とす、交らざる則は未濟(みせい)とす、交は生の象(しやう)不交は死の象なり。李家(りか)が謂ゆる淸降に偏なりとは丹溪(たんけい)を學ぶ者の弊(へい)を救はんとなり。古人曰く、相火(しやうくわ)上(のぼ)り易きは身中(しんちゆう)の苦(くるし)む所、水を補ふは火を制する所以(ゆゑん)なり。蓋し火(くわ)に君相(くん・しやう)の二義あり、君火(くんくわ)は上(かみ)に居(きよ)して靜を主(つかさ)どり相火(しやうくわ)は下(しも)に處して動(どう)を主どる。君火は是れ一身の主(しゆ)なり相火は宰輔(さいほ)たり。蓋(けだ)し相火(しやうくわ)に兩般(りやうはん)あり、謂(いは)ゆる腎と肝となり、肝は雷(らい)に比し腎は龍(りよう)に比す。是の故に云ふ、龍をして海底に歸せしめば必ず迅發(じんぱつ)の雷(らい)なけん、但(たゞ)し雷をして澤中(たくちゆう)に藏(かく)れしめば必ず飛騰(ひとう)の龍(りよう)なけん、海(うみ)か澤(たく)か、水にあらずと云ふ事なし、是れ相火(しやうくわ)上(のぼ)り易きを制するの語にあらずや。又曰く、心(しん)勞煩(らうはん)する則(とき)は、虚(きよ)して心(しん)熱す、心(しん)虚する則は、是れを補するに心を下(くだ)して腎に交(まじ)ふ、是れを補(ほ)といふ、既濟(きせい)の道なり。公先(さき)に心火(しんくわ)逆上して此の重痾(じうあ)を發す、若(も)し心(しん)を降下(こうげ)せずんば、縱(たと)ひ三界の秘密を行(ぎやう)じ盡(つく)したりとも起(た)つ事得じ。且つ又我が形模(けいぼ)、道家者流に類(るい)するを以て、大(おほい)に釋(しやく)に異なる者とするか、是れ禪なり、他日打發(だはつ)せば大(おほい)に笑ひつべきの事有らむ。夫(そ)れ觀は無觀を以て正觀(しやうくわん)とす、多觀の者を邪觀とす。向(さき)に公、多觀を以て此の重症を見る、今是れを救ふに無觀を以てす、また可ならずや。公(こう)若し心炎意火(しんえんいくわ)を收めて丹田及び足心(そくしん)の間(あひだ)におかば、胸膈自然に淸凉にして、一點の計較思想(けいこうしさう)なく、一滴の識浪情波(しきらうじやうは)なけん、是れ眞觀淸淨觀(しんくわんしやうじやうくわん)なり、云ふ事なかれ、しばらく禪觀を抛下(はうげ)せんと。佛(ぶつ)の言(いは)く、心(こゝろ)を足心にをさめて能く百一の病を治(ぢ)すと。阿含(あごん)に酥(そ)を用ゆるの法あり、心(しん)の勞疲を救ふ事尤(もつと)も妙なり。天台の摩訶止觀に、病因を論ずる事甚だ盡(つく)せり、治法(ぢはふ)を説く事も亦甚だ精密なり、十二種の息(そく)あり、よく衆病を治(ぢ)す、臍輪(さいりん)を縁(えん)して豆子(とうし)を見るの法あり、其の大意、心火(しんくわ)を降下(かうげ)して丹田及び足心に收むるを以て至要とす、但(たゞ)病を治するのみにあらず、大(おほい)に禪觀を助く。蓋し繋縁諦眞(けいえん・たいしん)の二止(にし)あり、諦眞(たいしん)は實相の圓觀、繋縁(けいえん)は心氣を臍輪氣海丹田(さいりん・きかい・たんでん)の間に收め守るを以て第一とす、行者(ぎやうじや)是れを用(もち)ゆるに大に利あり。古(いにし)へ永平の開祖師(かいそし)、大宋に入(い)つて如淨(によじやう)を天童に拜す。師一日(いちじつ)密室に入(い)つて益を請ふ、淨曰く、元子(げんし)坐禪の時、心(こゝろ)を左(ひだり)の掌(たなごころ)の上におくべしと、是れ即ち顗師(ぎし)の謂ゆる繋縁止(けいえんし)の大略なり。顗師(ぎし)始め此の繋縁内觀(けいえんないくわん)の秘訣を敎へて、其の家兄鎭愼(ちんしん)が重痾を萬死(ばんし)の中(うち)に助け救ひたまふ事は、精しくは小止觀の中(うち)に説けり。また白雲和尚曰く、我常に心をして腔子(くうし)の中(うち)に充たしむ、徒(と)を匡(ただ)し衆を領し賓(ひん)を接し機に應じ及び小參普説(せうさんふせつ)七縱八横(しちじゆう・はちわう)の間に於(お)いて、是れを用ひて盡くる事なし、老來(らうらい)殊に利益(りやく)多き事を覺ゆと。寔(まこと)に貴(たつと)ぶべし。是れ蓋(けだ)し素問(そもん)に謂(いは)ゆる恬澹虚無(てんたん・きよむ)なれば眞氣(しんき)これにしたがふ、精神内(うち)に守らば病何(いづ)れより來(きた)らんといふ語に本づき玉(たま)ふものならむか。且つ夫(そ)れ内に守るの要、元氣をして一身の中(うち)に充塞(じうそく)せしめ、三百六十の骨節、八萬四千の毛竅(まうけう)、一毫髮(いちがうはつ)ばかりも欠缺(けんけつ)の處なからしめん事を要す、是れ生を養ふ至要なる事を知るべし。彭祖(はうそ)が曰く、和神導氣(わしん・だうき)の法、當(まさ)に深く密室を鎖(とざ)し、牀(しやう)を安(あん)じ、席を煖(あたた)め、枕の高さ二寸半、正身(しやうしん)偃臥(えんぐわ)し、瞑目(めいもく)して、心氣を胸膈の中(うち)に閉(とざ)し、鴻毛(こうもう)を鼻上(びじやう)につけて動かざる事三百息(そく)を經て、耳聞く處なく目見る所なく、斯(かく)の如くなる則(とき)は寒暑も侵す事能はず蜂蠆(ほうたい)も毒する事能はず、壽(じゆ)三百六十歳、是れ眞人に近しと。又蘇内翰(そないかん)が曰く、已(すで)に飢ゑて方(まさ)に食し未(いま)だ飽かずして先づ止む、散歩逍遙して務(つと)めて腹をして空(むな)しからしめ、腹の空(くう)なる時に當つて即ち靜室(じやうしつ)に入(い)り端坐默然(たざもくねん)して出入(しゆつにふ)の息(いき)を數へよ、一息(そく)より數へて十に到り、十より數へて百に到り、百より數へ放(はな)ち去つて千に到りて、此身兀然(こつねん)として此の心(こゝろ)寂然(じやくねん)たる事、虚空と等(ひと)し、斯(かく)の如くなる事久(ひさし)ふして、一息(そく)おのづから止(とど)まり出(い)でず入ら(い)ざる時、此の息(いき)八萬四千の毛竅(まうけう)の中(うち)より雲蒸し霧起るが如く、無始劫來(むしごふらい)の諸病自(おのづか)ら除き、諸障(しよしやう)自然(じねん)に除滅(ぢよめつ)する事を明悟(めいご)せん、譬(たと)へば盲人の忽然(こつぜん)として眼(まなこ)を開くが如けん。此の時人に尋ねて路頭を指す事を用ひず、只要す、尋常(つねに)言語を省略して儞(なんぢ)の元氣を長養(ちやうやう)せん事を、是(こ)の故に云ふ、目力(もくりよく)を養ふ者は常に瞑し、耳根(じこん)を養ふ者は常に飽き、心氣を養ふ者は常に默すと。予が曰く、酥(そ)を用ゆるの法得て聞いつべしや。幽(いう)が曰く、行者(ぎやうじや)定中(じやうちゆう)四大(しだい)調和せず、身心ともに勞疲する事を覺(かく)せば、心を起して應(まさ)に此の想(さう)をなすべし、譬へば色香(しきかう)淸淨(しやうじやう)の輭酥(なんそ)鴨卵(あふらん)の大(おほい)さの如くなる者、頂上に頓在(とんざい)せんに、其の氣味微妙(みめう)にして、遍(あまねく)く頭顱(づろ)の間(あひだ)をうるほし、浸々(しんしん)として潤下(じゆんか)し來(きた)つて、兩肩(りやうけん)及び双臂(さうひ)、兩乳(りやうにう)胸膈(きようかく)の間(あひだ)、肺肝(はいかん)腸胃(ちやうゐ)、脊梁(せきりやう)臀骨(どんこつ)、次第に沾注(てんちう)し將(も)ち去る。此時に當つて、胸中の五積(しやく)六聚(しゆ)、疝癪(せんべき)塊痛(くわいつう)、心に隨つて降下(かうげ)する事、水の下(しも)につくが如く歴々として聞(こゑ)あり、遍身(へんしん)を周流し、雙脚(さうきやく)を温潤し、足心(そくしん)に至つて即ち止む。行者再び應(まさ)に此の觀をなすべし、彼(か)の浸々として潤下(じゆんか)する所の餘流(よりう)、積り湛(たた)へて暖め蘸(ひた)す事、恰(あたか)も世の良醫の種々妙香(めうかう)の藥物(やくぶつ)を集め、是れを煎湯(せんたう)して浴盤(よくばん)の中(なか)に盛り湛へて、我が臍輪(さいりん)以下を漬(つ)け蘸(ひた)すが如し。此の觀をなす時唯心(ゆゐしん)の所現(しよげん)の故に、鼻根(びこん)乍(たちま)ち希有(けう)の香氣を聞き、身根(しんこん)俄かに妙好(めうかう)の輭觸(なんしよく)を受く。身心(しんしん)調適(てうてき)なる事、二三十歳の時には遙かに勝(まさ)れり。此の時に當つて、積聚(しやくじゆ)を消融(せうゆう)し腸胃(ちやうゐ)を調和し、覺えず肌膚(きふ)光澤を生ず。若(も)し夫(そ)れ勤めて怠らずんば、何(なに)の病(やまひ)か治(ぢ)せざらん、何(なに)の德か積まらざん、何の仙(せん)か成(じやう)ぜざる、何の道か成ぜざる。其の功驗(こうけん)の遲速は行人(ぎやうにん)の進修(しんしう)の精麤(せいそ)に依(よ)るらくのみ。走(そう)始め丱歳(くわんさい)の時、多病にして、公(こう)の患(うれひ)に十倍しき、衆醫總(そう)に顧(かへり)みざるに到る。百端を窮(きは)むといへども、救ふべきの術(じゆつ)なし。此(こゝ)に於て、上下の神祇(じんぎ)に祈つて天仙の冥助(みやうじよ)を請ひ願ふ。何の幸(さいはひ)ぞや、計らずも此(この)輭酥(なんそ)の妙術を傳受する事を。觀喜(くわんき)に堪へず、綿々として精修(せいしう)す。未(いま)だ期月(きげつ)ならざるに、衆病(しゆうびやう)大半消除す。爾來(じらい)身心輕安なる事を覺ゆるのみ。癡々(ちゝ)兀々(こつこつ)月の大小を記せず、年の閏餘(じゆんよ)を知らず、世念(せねん)次第に輕微にして、人欲(じんよく)の舊習(きうしう)もいつしか忘れたるが如し、馬年(ばねん)今歳(こんさい)何十歳なる事もまた知らず。中頃端由(たんゆ)有りて若州(じやくしう)の山中に潜遁(せんとん)する者大凡(おほよそ)三十歳、世人都(すべ)て知る事なし。其の中間を顧(かへりみ)るに、恰(あたか)も黃粱(くわうりやう)半熟の一夢(いちむ)の如し。今此の山中無人(むにん)の處に向つて、此の枯槁(こかう)の一具骨(いちぐこつ)を放つて、大布(たいふ)の單衣(たんい)纔(わづか)に二三片を掛け、嚴冬の寒威(かんゐ)綿を折(くじ)くの夜(よ)といへども、枯腸(こちやう)を凍損(とうそん)するに到らず、山粒(さんりふ)すでに斷(た)えて穀氣(こくき)を受けざる事動(やや)もすれば數月に及ぶといへども、終に凍餧(とうたい)の覺(おぼえ)もなき事は、皆此の觀(くわん)の力ならずや。我今既に公に告ぐるに一生用ひ盡(つく)さざる底(てい)の秘訣を以てす、此外(このほか)更に何をか云はんやと云つて、目を收めて默坐す。予も亦涙を含んで禮辭(らいじ)す。徐々として洞口(どうこう)を下れば、木末(こずゑ)纔(わづ)かに殘陽(ざんやう)を掛く。時に屐聲(げいせい)の丁々(たうたう)として山谷(さんこく)に答ふるあり。且つ驚き且つ怪んで、畏(お)づ畏(お)づ回顧すれば、遙に幽(いう)が巖窟を離れて自(みづか)ら送り來(きた)るを見る。即ち曰く、人迹不到(じんせきふたう)の山路(さんろ)西東(さいとう)分(わか)ち難(がた)し、恐らくは歸客(きかく)を惱(なやま)せん、老父しばらく歸程(きてい)を導かんと云つて、大駒屐(だいくげき)を著(つ)け痩鳩杖(そうきうぢやう)をひき、巉巖(ざんがん)を踏み嶮岨(けんそ)を陟(わた)る事、飄々(へうへう)として坦途(たんと)を行くが如く、談笑して先驅す。山路遙かに里許(りばかり)を下(くだ)りて、彼(か)の溪水(けいすゐ)の所に到つて、即ち曰く、此の流水に隨ひ下らば、必ず白川(しらかは)の邑(いふ)に到らんと云つて、慘然(さんぜん)として別る。且(しば)らく柴立(さいりつ)して、幽が回歩(くわいほ)を目送するに、其の老歩(らうほ)の勇壯なる事、飄然(へうぜん)として世を遁れて羽化して登仙する人の如し。且つ羨み且つ敬(けい)す。自(みづか)ら恨む、世を終るまで此等の人に隨逐(ずゐちく)する事能(あた)はざる事を。徐々として歸り來(きた)つて、時々に彼(か)の内觀を潜修(せんしう)するに、纔(わづか)に三年に充たざるに、從前の衆病(しゆうびやう)、藥餌(やくじ)を用ひず鍼灸(しんきう)を假(か)らず、任運(にんうん)に除遣(ぢよけん)す。特(ひと)り病を治(じ)するのみにあらず、從前手脚(しゆきやく)を挾(さしはさ)む事を得ず、齒牙(しが)を下す事を得ざる底(てい)の難信難透難解(なんげ)難入(なんにう)底(てい)の一著子(ちやくし)、根(こん)に透(とほ)り底(てい)に徹して、透得過(とうとくくわ)して大觀喜(だいくわんき)を得(う)る者、大凡(おほよそ)六七回、其の餘(よ)の小悟(せうご)、怡悦(いえつ)踏舞(たうぶ)を忘るゝ者、數(かず)を知らず。妙喜(めうき)の謂(いは)ゆる大悟(だいご)十八度小悟(せうご)數(かず)を知らずと、初めて知る、寔(まこと)に我を欺かざる事を。古(いにし)へ二三緉の襪(べつ)を著(つ)くといへども、足心(そくしん)常に氷雪の底(そこ)に浸すが如くなる者、今既に三冬(さんとう)嚴寒の日といへども、襪(べつ)せず爐(ろ)せず、馬齒(ばし)既に古稀を越えたりといへども、指すべき半點の小病も亦なき事は、彼(か)の神術の餘勳(よくん)ならんか。云ふ事なかれ、鵠林(こふりん)半死の殘喘(ざんぜん)、多小無義荒唐(むぎくわうたう)の妄談(もうだん)を記取して、以て佗(た)の上流を誑惑(きやうわく)すと。是れ宿(つと)に靈骨有つて、一槌(つゐ)に既に成(じやう)ずる底(てい)の俊流(しゆんりう)の爲に設くるにあらず。癡鈍(ちどん)予が如く、勞病予に類(るい)する底(てい)、看讀(かんどく)して仔細に觀察せば、必ず少しき補(おぎなひ)ならんか。只恐る、別人の手を拍(はく)して大笑せん事を。何が故ぞ、馬(うま)枯萁(こき)を咬(か)んで午枕(ごちん)に喧(かまび)すし。(終)